異形のスウェット

 2024年9月29日 日曜日 快晴



晴れ渡る本日、ライディングハイに依頼していた後付けパーカーが入荷しました。

まずはご予約を頂いたお客様にお礼を申し上げます。



後付けパーカーというデザインを知ったのは10代の終わりころだったかと。

今の様に手元で情報を得られる時代ではなかった時の限られたツールは雑誌とブランドのカタログ、そして店。

函館へ遊びに行った際に立ち寄ったお店で見つけたのが最初だと記憶します。

その店で始めてみたクルーネックのスウェットに付属されたフードを目にして「なんだこれは!」と即決。色は霜降りのオートミール。ついでにナイキのACGも。

着丈は短くヨコはワイド。

スウェットに馴染みがなくまだトレーナーと呼ばれていた時代。

スソからТシャツを出して自分なりにイカしていると思い込み、そしてまだ誰も知らないその異形のパーカーを自慢げに着ておりました。

その後それが後付けパーカーと呼ばれるもので、過去の遺物を再現したものと知る。


ほどなく僕はいったいなんの因果か偶然か一体誰かのいたずらか洋服屋に勤め出す事に。

決してマニアックな品ぞろえの店でも無かったのでそういった物が陳列されているはずもなく面接と言う名の面談でマニアックなものを着てお店に立つのは控える様に念を押される。

そこは仕事なので割り切ってひとしきり少ない給料(失礼)からそういった物を買い集める事に。

例えばブッシュパンツの様な決してメインストリームとは言えないものへ妙に惹かれるのはなぜか?


函館で初めて買った後付けパーカーがきっかけでレプリカブランドのものを買い集める様になり、様々なブランドのものを買ってはムフフンとひとり没入して行く事になり、ただただ所有しているというだけで満足するコレクター気質なので着る機会も週一の休みの日にあれば良い方で、そのほとんどが痛むことなくそのうちシルエットとサイズ感が時代に合わなくなった為にすべて手放す事になりました。


ライディングハイが定番をリニューアルした昨年秋。

これまでの吊り編み機からアズマ編み機に生地の生産を移行しデザインも新たにリリースされ、クルーネックを試着した際に思ったのは「これで後付けパーカーを作りたいぞ」と、新定番は腕の振りが広くなった事でフードとの相性も必ず良いはずだと。

それはすぐに打診する事は無く年が明けた1月にライディングハイの代表から後付けパーカーを製作すると聞いて、それならば僕が作る必要はないかと思っておりましたが(インラインで出る事に半分残念に思いながら)送ってもらった資料に目を通すとカラーはツートーンとブラック。

グレーオンリーがないじゃなか?!とすぐにグレーの生産を別注という形で依頼したところ快諾して頂き、ただ単に色違いではあまり特別感がないと思い以前から考えていたハーフジップで恐る恐る打診。

果たしてこの度の製作となりました。



入社して4年くらい経った時に会社を辞めようと辞表を出す寸前でした。

別に会社には不満はなくしかしとにかく仕事がツラくとうぜん楽しくもない。

毎日朝を迎えると憂鬱で仕事には行きたくもなくそのころ佐野元春さんの“Sunday Morning Blue”という曲をほぼ毎日聴いていた。

しかし辞めるぞと決めた後は完全に開き直り、言い出す機会を伺いいよいよの時に店長職の打診。

特に就きたい仕事も無くとにかく辞める事が先決だった僕は「そうそう店長なんてやれないし仕入れという仕事もやってみたい」と言った理由で引き受けました。

実はその一年前には店長をやってみたくてたまらなく、たった一年でこうも人を変えるものなのか?と思う程に思い出作りに1~2年やりながら次の仕事を探せば良いかと軽い気持ちで引き受けました。

それから9年ほど勤めて店を始めたわけですが、あの時に自分に言ってやりたいのは「長くやっていたらそのうち良い事あるから」


単に後付けパーカーというデザインを作るではなく、どのブランドが作るか、作って貰うかが重要だと考えていて20代から30代前半にかけ夢中になってコレクションした(のちに全部手放したけど笑)あのスウェットを、ちょっとしたデザインと色の変更とはいえ僕の意思で作れた事にとても感慨深い気持ちと予約を下さった事にとても嬉しく思ってます。

僕にとってはとても特別な事で、今夜はささやかに乾杯したいと思います。







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